ねことのひととき

ねこに癒される日々

罪悪感とやすらぎ

60歳で脳梗塞を発症。現在77歳認知症発動中のじじ様。わがまま、ストーカー、暴力、挙動
不審に驚きばかりの日々です。
   
親としての威厳が失われていくのは哀しいものですが、親も人間だと改めて感じ、見つめな
  
おすことばかりです。親子という近い立場ゆえ苛立ちが爆発したり、ひどい言葉を発し
と後々で後悔することが多い中、考えや気持ち、今まで生きてきた環境、様々な想いを知る
事が出来るような気がします
認知症は治らない病気、将来80歳以上の大半の人が発症すると言われています。
私の父も認知症の診断を受けています。脳の中で何が起こっているかわかりませんが、 何
かをする、行動する、の前に何か理由、原因が必ずあると思っています。じじ様は人間の本
能の心思うまま行動するのです。



  


じじ様入院してから。


習慣とは怖いもので。


じじ様は入院して家にはいないとわかっていても


まだ 夜中に叫び声が聞こえるような、家の中を徘徊しているような


台所でつまみ食いしているような感覚があるのです。


もう心配して夜中に起きることも どこにいるか探すこともしなくていいのに


自然と夜中に目が覚め、探してしまう。


ゆっくりと眠れないのです。


ばば様も同じで 眠れないらしい。


ばば様の場合  じじ様が心配らしい。


病院でちゃんとトイレは出来ているのだろうか、ご飯は・・・、おやつは・・・


やはり毎日 手強いだらけのじじ様が いざいなくなると 何もすることが


なくなり、無気力感になるらしい。


そして 静かさ。。。


じじ様が無事入院出来たら 、掃除していらないものは始末して、整理整頓ができる、


庭も整えて、あれもこれも とすることはたくさんあるのに・・・ やる気がでない


じじ様がいたときは 


”じじ様がいるから 何もできない・・”


と手抜きするのも 何か忘れるのも じじ様のせいにしていた。


どうやら じじ様のお陰で なんとか頑張ろうという気持ちを持ち続けられていて


体も動き、思考力も活発に動いていたのだろう。


解放とともに安堵と喪失感。


ばば様はじじ様がいない今でも玄関にチェーンをかけている。


外から誰かが訪ねて来て玄関のドアを回し、開けようとすると ばば様はそっと静かに息を


殺してジッとドアノブを見つめている。


じじ様が帰ってきたかのような錯覚がおきるのだ。


病院で入院しているじじ様が一人家に帰ってこれるはずもないのに。

車椅子に乗って・・・  記録 59 カウント0

60歳で脳梗塞を発症。現在77歳認知症発動中のじじ様。わがまま、ストーカー、暴力、挙動


不審に驚きばかりの日々です。
   
親としての威厳が失われていくのは哀しいものですが、親も人間だと改めて感じ、見つめな
  
おすことばかりです。親子という近い立場ゆえ苛立ちが爆発したり、ひどい言葉を発し


と後々で後悔することが多い中、考えや気持ち、今まで生きてきた環境、様々な想いを知る


事が出来るような気がします



認知症は治らない病気、将来80歳以上の大半の人が発症すると言われています。


私の父も認知症の診断を受けています。脳の中で何が起こっているかわかりませんが、 何


かをする、行動する、の前に何か理由、原因が必ずあると思っています。じじ様は人間の本


能の心思うまま行動するのです。


じじ様保護入院


1月12日 金 曜日


本日 14時 じじ様入院予定


さて、朝から気づかれないように普段通りに過ごす。


じじ様がばば様と会話をしている間 裏のドアから荷物を運び出し、車に積み込む。


じじ様は脇腹がまだ少し痛いらしい。


痛い・・・


と言うと ばば様も優しく接してくれるので 半ばわざと痛がっているようにも見える。


最近はあまり長く睡眠をとらず 家の中徘徊を続けていたのに、今日はお昼前から


畳の上にゴロンと寝転がり うたた寝に入ろうとしていた。


病院まで車で30分かかる、1時半にはじじ様を家から出さないと。。。


ばば様がじじ様を起こそうとするが だらり~とまた横になる


ばば様がいつもの諦めモードに入りつつある。


・・・行けないね・・・


ばば様が小さく言う。


有言実行!! また先の見えない毎日は嫌だ!!!!!


「じじ様、脇腹が痛いね。病院予約したから診察してもらおう。」


じじ様を引っ張る。


心配されたのが嬉しかったのか(・・罪悪感) じじ様の体に少し力が入る。


よしっ。


ばば様も参加して 脇腹が痛くて辛そうな顔のじじ様を立たせる。


そして なんとか車に乗せた。それまでの時間、1時間、、、、、。


ばば様が玄関の鍵をかけに行くと


「よし、今だ! 出発!!あいつ(ばば様)を置いていくぞ!!」


と突然元気はつらつ 片腕をあげて 元気いっぱいのじじ様。


もう、お腹抱えて、涙が出るほど 笑った。


久しぶりに心の底から 大声で笑ってしまった。


車に戻ってきたばば様は 大笑いする私を見てきょとん。


「どうしたの?」と聞く。


じじ様 無言で窓から外を眺めて知らん顔。


え~、絶対にわかってるよね、じじ様。 ほんとに認知症なのかしら、、、、。


車が走り出すと じじ様興味津々で外を眺めて、


「あー、ここは確か 〇〇 だった」


と記憶を手繰り寄せていた。


楽しそうだ。


・・・・・もっと ドライブに連れて行ってあげればよかった、、、


少しの時間でも どこかに連れていってあげればよかった・・・・



後悔ばかりで 悲しくなる。



自分の心がどんなに余裕がなかったのかを改めて分かった。




もう 今度はないかもしれないけど。。。。


あるとすれば もっとおおらかに心の余裕を持てるようにしておこう。


そして 少しの間でも違う景色を見せれるように準備しておいてあげよう。




病院に着く。


じじ様は家のよたよたとは全く違う歩き方で スタスタと歩いて行く。


私もばば様も 目が点になる。


ほんと 外面はいいんだから。


待ち時間が10分、15分と長引き、小心者のじじ様は落ち着きがなくなり


不安で帰りたいビームをばば様に飛ばし始めた。


足が痛い、脇腹が痛いとも言いだした。


ったく、子供じゃないんだから。


そんなじじ様をばば様があやしながら甘やかす。


その間、私は担当医と密談。


「今日はどうやってじじ様を連れてこられましたか?」


「ちょうどお風呂で躓いて脇腹を痛めてしまって、痛がるから念のための診察


 をしてもらうってじじ様には言ってあります」


「わかりました。始めにいろんな検査がありますので、ちょうど良かったです。


 話を合わせて行きましょう」


看護婦さんや看護師、先生 5人ばかりがじじ様に優しく話しかけていきます。


じじ様は臆病で人見知りなので ばば様の方を向いたまま無視して、不機嫌状態。


一人の元気な看護婦さんが 


「じじ様、レントゲンとりますね、車いすに座ってくださいね」


大きな声たくましい腕力でじじ様を車いすへと強制誘導。


すると男の看護師さんが無言、サーッとじじ様を車いすで連れ去って行った。


呆然、


圧巻。


じじ様は振り向く隙もないまま。


そしてあっけなくじじ様は入院となった。


残された私たちは今後の手続きの為 、病院棟、リハビリ棟、食堂等の説明を受けた。


説明や書類へのサインなど、3時間半ほどかかり ばば様はくたくた状態だ。


今日は家に帰ってもじじ様はいない・・・


まだ現実感がないけれど、


まだすぐに帰ってくるような感覚がある。


ばば様は担当医に訴える。


”じじ様は人より力はあるし、わがままで暴れるんですよ。


だから 病院の方にご迷惑をお掛けするのでは・・・”


担当医の先生はピシり。


「 私たちはこの病状のプロですから。



 そんなことは 当たり前のことです」


と言ってくれたおかげで ばば様は本当に安心した。


病室に移動したじじ様を 帰りに一目会って行こうと ばば様に言ったが


今会ったらじじ様が ”帰る”と言い出すかもしれない。と顔も見ずに家に帰った。


心身とも疲れ果てたばば様は 家に帰るとただぼ~としていた。


じじ様を入院させてしまった罪悪感


じじ様がいないことでの安らぎと寂しさ。


人の心がこんなに複雑でなければ 脳も単純でいてくれたのかもしれない。


人は余計な物が入りすぎて 複雑すぎる。

絶望  記録58 カウント1

60歳で脳梗塞を発症。現在77歳認知症発動中のじじ様。わがまま、ストーカー、暴力、挙動
不審に驚きばかりの日々です。
   
親としての威厳が失われていくのは哀しいものですが、親も人間だと改めて感じ、見つめな
  
おすことばかりです。親子という近い立場ゆえ苛立ちが爆発したり、ひどい言葉を発し


と後々で後悔することが多い中、考えや気持ち、今まで生きてきた環境、様々な想いを知る


事が出来るような気がします


認知症は治らない病気、将来80歳以上の大半の人が発症すると言われています。


私の父も認知症の診断を受けています。脳の中で何が起こっているかわかりませんが、 何


かをする、行動する、の前に何か理由、原因が必ずあると思っています。じじ様は人間の本


能の心思うまま行動するのです。



前日


1月11日 木 曜日


入院するにあたって、持ち物にはすべて名前を記入。


当たり前だが、タオルならまだしも靴下やら下着やらは面倒らしい。


せめてもの償い?に名前を刺繍で施しているばば様、3つ目でダウン。


ただ マジックで書いていれば良いのに。


「素直に入院できるかな・・・」


とまだ入院の事実を半信半疑のばば様。


「入院した方が 周りの為になるし、何よりじじ様本人の為だから。


病院は安全だし、人もたくさんいるから 案外良くなっていくかもよ」


覚悟を決めるようばば様に言う。ついでに自分の気持ちにも言い聞かせる。


そう言うと


「良くなって、すぐに退院されても・・困るな


「無事入院できたら、 掃除して尿くさいのは全部捨ててしまわないとね」


「じじ様のお布団に、服も全部。」


と もう 大掃除気分。


ばば様、気持ち切り替え早すぎ。。。


もう 二度とじじ様が家に帰ってこないような気持でいる。


顔の色も昨日と違い血色がいい。


ばば様 浮かれすぎ。


「明日からの入院はじじ様の薬の調整のための 保護入院だから


 薬が合えば すぐに退院するよ」


と、ばば様を絶望に追いやってあげた。


あまりに嬉しさ全開なので 少し意地悪です。


「えっ、帰ってくるの? 


 ・・・帰ってきてもね・・」


ばば様 瞬時にシュン・・・・


ばば様、昨日、じじ様がいなくなると寂しいって言ってたよね、もう忘れたの?


ま、嘘ではない。 すぐすぐには退院はしないだろうけど、いつかは家に帰って


来ると思う。


今回の入院は 専門医療機関、地域拠点型認知症疾患医療センターの指定を受けている


病院で じじ様は保護入院、薬の調整と周辺症状への急性期対応 となる。


脳に強い影響を及ぼす薬を避ける為、担当医は少しづつ調整して下さるらしい。


病院では高額医療、高齢者介護保険が使える、年金がほぼない上に借金はあっても


貯蓄はないじじ様。


なんとか家族で少しずつ出しあっていけば入院費も払えそうだ。


認知症の介護も大変だけど、現実お金の不安も大変だ。


薬の調整が出来て退院しても 調べた限りうちから施設に行くお金は算出できない。


ということは 将来的には家で介護。となる。


今の状態よりは大人しくなっているのを期待するが 完全介護は免れない。


先を考えてもどうしようもないが 考えると先が見えない。


介護は大変だから お国の制度や補助を使って楽をして下さい、と言っているが、


まだまだ課題はたくさんありそうです。


本当にその場を毎日体験しないとわからないことだらけ。


体力、お金、精神力、それと感情。


いろんなものが飛び交う。1日が24時間という感覚さえわからなくなるのだ。


確かにいろいろな制度や補助は有難かった。


勉強になったのは 知識と人の優しさだ。


知っているのと知らないのでは大きな違いが出てくる。


他人からの話でもネットでもいい、頭に入れる事により対応がより濃度が増す。


院前日。


人間というのは不思議で面白いものだとつくづく思う。


じじ様が記憶がまともに発動し、今まで何事もなかったかのように以前と同じように


普通に話始める。


会話が出来るのだ。


明日からの入院が取り消しになるくらい 普通に穏やかだ。


やばい・・・


騙されるな、、、、。


それでも尚、もしかしたら 元のじじ様に戻るのではないか、特例があるのではないか、


初めて認知症から回復した人と認定されるのでないか、と期待してしまう。


じじ様はそんな稀な偉大な人ではない!と断言できるのに。


鬼になろう。


心を鬼にしてじじ様の為、薬を調整してもらう のが第一だ。


とにかく、 今週末は大掃除だな!!


は~、やっぱり血筋か、、、ばば様と思考が同じになってる。